2011年11月15日

3月の水

アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲「3月の水」。
きっと誰もが一度は耳にしたことがあるはず。






最近は移動中にpodcastでダウンロードした菊地成孔のラジオ番組を聴くのが習慣。
この番組の最終回で「3月の水」が紹介され訳詞が朗読された。


並べられた言葉が心を打った。




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『三月の水』



枝 石ころ 

行き止まり 切り株の腰掛け 少しだけ独りぼっち

ガラスの破片 これは人生 これは太陽 これは夜 これは死

これは銃 





この足 地面 この身と骨

道路の響き スリングショットストーン(狩猟用のパチンコの石) 

魚 閃光 銀色の輝き

争い 賭け 弓の射程  風の森 廊下の足音

擦り傷 瘤 何でもない





槍 釘 先端 爪 ぽたりぽたり 

この物語の終わり

トラックが運んでくる一杯の煉瓦 柔らかな朝日の中

銃声 丑三つ時

1マイル やるべき事 前進 衝突

女の子 韻 

風邪 おたふく風邪

家の予定 ベッドの中の身体 立ち往生した車

ぬかるみ ぬかるみ





そして川岸が語る 三月の水

人生の約束 心の喜び

浮遊 漂流 飛行 翼

鷹 鶉 春の約束 泉の源

最終行 落胆した貴方の顔

喪失 発見

蛇 枝 あいつ あの男

貴方の手の中の刺 そしてつま先の傷

川岸が語る 三月の水

それは人生の約束 





それはあなたの心の喜び





一点 ひと粒 蜂 ひと口

瞬き 禿鷹 突如の闇

ピン 針 一撃 痛み

蝸牛 なぞなぞ 借り鉢 染み

枝 石ころ 最後の荷物 切り株の腰掛け 一本道

そして川岸が語る 三月の水

絶望の終わり 心の喜び



心の喜び 



心の喜び



この足 地面

枝 石ころ これは予感 これは希望



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ポルトガル語の歌詞と英語バージョンでは微妙に詞が違うみたい。
上の訳は英語バージョンのもの。


Waters of March by Holly Cole.




このラジオの歌の紹介がまたすばらしくコピペらせていただきます。


菊地成孔の粋な夜電波10月2日分ラスト書き起こし


「~ですんで、まあ、あの、好き勝手やるにしても、番組が始まる前に唯一決めていたことがあります。
最終回の最後にこの曲を流すということです。

えー、番組初回の1曲目がその伏線になってますから、要するにまあ最初と最後だけ決めてたってことですけれどね。
予定通りこの曲を最後に流そうと思います。


ワタシは過去2回、ラジオのパーソナリティをやってきまして、今回が3回目ですが、毎回番組たびにこの曲の特集を組んで、その詩を朗読してきました。
そして今年、初めて、この曲のタイトル、そしてメッセージは我々日本人にとって特別な意味を持つようになりました。

この曲が何かを仕組んだわけじゃない。
我々が何かを仕組んだわけでもありません。
あの、ただあるがままに、この曲がすでに存在していただけです。
大衆音楽とはいうものはそういうもんだと、ワタシ思います。


昨今の大衆音楽の中には、俗流のエコロジーやアニミズムをテーマにしたものが山ほどありまして、年々増加傾向にさえあると言えます。
『トイレの神様』大いに結構です。しかし、大衆音楽が、エコロジーとアニミズム、つまり自然界における神々の偏在を歌って、この曲以上のものを、不勉強ながらワタシ知りません。


アントニオ=カルロス=ジョビンは、まずこの曲の歌詞をインディオ文化に従ったラテンルーツのポルトガル語と、ネイティブ・アメリカン文化に従ったアングロサクソンルーツの英語と、ふたつの言葉で書きました。

有名な大衆音楽の評論家であり、史学の研究者でもあったレナード=フェザーは、この英語詞の方をむしろ優れていると、英語圏以外の国の人間が書いた英語の歌詞の中で歴史上最も優れた10曲に入ると言いました。

ワタシ、ジャズ屋ですからレナード=フェザーを尊敬してますが、これはフェザーの間違いです。
【10曲の中に入る】のではなく【1曲の中に入る】と思います。


1962年に『イパネマの娘』が空前の大ヒットを記録しまして、人生が一変してしまったジョビンは、様々な苦悩を抱え、1966年から精神分析治療を始めます。

表向きのディスコグラフィーでは、有名なイージーリスニング盤が出てたりですね、ブラジルとアメリカでもうほとんど毎年のように国民的な大きな賞を受賞してたりするんで、ちょっと見、見えづらいんですが、その作品のVIBESですね、その頃残している作品から伝わってくるヴァイブス、それと残されている記録、ま、プロファイリングですね、から、この時期のジョビンが追い詰められ非常にキツかったことがひしひしと伝わってきます。


世界的な名声とひきかえに、最初の妻との関係は冷えきっており、後に離婚します。

早死にした父親の謎の死因を自分で探したり、子どもの頃森の中で、愛犬を間違って猟銃で撃ち殺してしまった罪悪感と闘ったり……、精神分析は5年間続きました。

分析終了後の72年、『イパネマの娘』から約10年後ですね、に発売された『マチッタ・ペレ』というアルバムのジャケットは、当時のジョビンの内面を大きく反映しています。

異様なまでに暗くて深い黒バックに、若き日は俳優とまで言われたあの美貌ですね、が、口ひげを生やして太ってですね、髪ボサボサで、ま、トム=ジョビンというよりグスタフ=マーラーみたいなね、感じのポートレートで、暗く哲学的な顔を浮かび上がらせています。

しかしそのどん底の中で、ジョビンはこの楽曲を作曲しました。

やがてエコロジストというアイデンティティを掴んで、様々な自信を持ったこう試行錯誤を経て、51歳で次の伴侶を手にし、Two Kites、ふたつの凧となって天空を舞い上がる、ね、王子様から不細工なカエルの大王みたいになってゲットした、輝くばかりの歓喜へと向かう、この曲は予兆なんですね。

歌は確かに、艱難辛苦からくる乖離によって、ちょっとぼやぁっとしちゃってるんですけど、しかしあの…確実に、既に、掴んでます。


ジョビンの人生が最終的にハッピーエンディングだということは、番組初回にお話ししました。

輝かしい「テラ・ブラジリス」はその完成形であって、番組初回にオンエアした『Two Kites』はジョビンの個人的な復興が完成したことを高らかに告げる一曲です。

番組では触れませんでしたが、主人公であるピーター・パンが口説いて、ふたりで天空まで駆け上がるその相手の女性は、ふたり目の、終世の妻であるアナのことで、実際にアナが歌ってます。


ですので、今からお聴きいただく曲は、その復興が完成する7年前、絶望と混乱と疲労の淵にあって、今まさに復興に着手したばかりという瞬間の、希望と痛みに満ちてます。

クラウス=オガーマンの歌と歌の間に流れるストリングスは、もうほんと素晴らしいです。暗雲が立ちこめる、なんて言うんですかね、リアルで巨大な灰色の空が、もうそれはそのままで、どこまでも色彩的で美しいといったようなことを、もう半ば絵画的に表現しているかのようですね。

そして何よりも素晴らしいのは、やっぱりその歌詞です。

どん底でも自分さえしっかりしていれば、人はこれを掴めるということをこの曲は教えてくれます。


それでは、憂鬱な日曜の夜に皆様とお会いする最後の時間に、英語詞からの訳詞とともに、この曲を捧げたいと思います。

番組の初回がオンエアされたあの時。
そして7年後のジョビンの幸福。
そして、今年の3月に想いを馳せて下さい。

何千バージョンのカバーが存在するという、アントニオ=カルロス=ジョビンの最後の世界的なヒット曲の、これは生まれたてのバージョンです。

『三月の水』。」


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Posted by しゃからデラックス at 00:06│Comments(0)いろいろ
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